戸田貴久のプロフィール

はじめまして!戸田貴久と申します。ブログを読んで頂き有難うございます!

これから簡単に自己紹介をさせてください。

【 プロフィール短編 】

(直感的に分かる戸田の人生図)

1990年2月23日生まれ 鳥取県鳥取市出身
岡山大学卒業後、鳥取銀行に就職しますが仕事が面白くなかったので、1年で辞めて上京しました。つまり社会不適合者です。笑

上京後は営業代行業で起業し、現在は東京ではウェブメディア事業とスクール事業を中心に活動しており、2017年5月3日からモンゴルに移住しモンゴルでアパレル事業HushTug(ハッシュタグ)を運営し、モンゴルの可能性を世界に発信する活動をしています。

モンゴルでやってること

レザーブランドHushTug

『モンゴルに産業を創る』という理念のもと、モンゴルの職人とレザー製品を作って「Made in Mongolia」を世界に広めよう!というプロジェクトをしています。日本のTVに取材されたり、モンゴルの新聞に掲載されたりと応援してくれる人が少しずつ増えてきて本当に嬉しい限りです!

(「モンゴルは今」というTV番組に取材されました!)

(モンゴル在住の日本人向け新聞に掲載されました!)

(HushTug製品を作っている工房の紹介PVです!)

モンゴルのレザーはイタリアンレザーの原材料にも使われるくらい高品質ですが、モンゴルには製品を高品質に作る技術やデザインの技術が無いに等しく、「モンゴルレザー × 日本の技術とデザイン」という組み合わせで世界に通用する製品を作り『モンゴルに産業を創る』ために生まれたのが「HushTug」です。

▷ HushTug公式通販サイト

2017年11月に立ち上げ約1年後の2018年10月27日〜11月30日まで初めてのクラウドファンディングに挑戦し、ユーザーの方々からの支えがあり当初の目標を大幅に上回る売上を達成することが出来ました。本当にありがとうございます!

(クラウドファンディングのページはこちら

『モンゴルに産業を創る』ために、

①モンゴル現地で職人1000人雇用
②日本国内で年商100億

この2つを目標に掲げています。道程は険しいですが日本モンゴルの社員と力を合わせ突き進んでいきます。

ブログで伝えたいこと

起業してから、いろいろな国に行ったり、事業を売却したり、天狗になったり、キャバクラにはまったり、人に騙されたり、人間不信になったり、2000万詐欺られそうになったり、ほんと〜〜〜うに色々なことがありました\(^o^)/

実体験して感じたこと、上手くいったこと、失敗したことなどを中心に、起業してみたい人や何かやりたいけどくすぶっている人のきっかけになれるように情報を発信していきます。

宜しくお願い致します!

【 プロフィール詳細 】


鳥取駅前の若桜街道

1990年2月23日に鳥取県鳥取市で生まれ高校卒業までは地元で過ごしました。
何もない田舎町だけど何もないからこその良いところがあると自負しています。

幼少期から銀行に就職するまで

大学受験まではバスケ漬けの毎日!

高校卒業まではずーっとバスケばかりの日々でした。
メンバーに恵まれたので県内では結構いい成績を残せて小中は県1位に。
小学校の全国大会で代々木体育館を初めて見た時の感動は未だに覚えています。笑


感動した代々木体育館!

高校時代は練習がキツすぎて、人生がやり直せるなら絶対にバスケ部だけは入りたくないと思えるレベルでした。
でも、そのおかげで受験勉強が楽に思えたりビジネスでしんどい時でも「部活に比べたら」って思えたから人生の中では本当に良い経験でした。当時の恩師には感謝です。

合格するまでに2年はかかるね

高校総体が終わり受験モードになったのですが、元々やりたいことなんて全く無くて興味が有ることって何かなー?って考えた結果、「お金」しか出てこなかったんですよね。笑

ただお金を稼ぎたい!とか大金持ちになりたい!とかじゃなく何となくお金が好きだったんです。実は小さい頃から晩ご飯のおかずを見ては「これいくら?」っていつも聞いてたし、元々潜在的に興味があったんだろうなと思います。

ってことで、学部は経済学部に決定。しかし問題が発生します。地元の鳥取大学には経済学部が無いということで県外の大学に行くことが強制的に決まってしまいました。

当時、東京や大阪なんて都会に行くことは何故か怖かったので近くの大学に絞って調べました。そして私立は高いから国立大学で近くで経済学部がある大学は、

神戸大学、広島大学、岡山大学

の3つでした。ちなみに当時の僕は学年の底辺もいいとこです。普通に考えてこの辺りの国立大学なんて受かるはずもないし当然模試もオールE判定。

内心、これ無理だなー。でも浪人もやだしな・・・。って結構葛藤していました。

そんな時、担任の先生と面談があって志望大学を聞かれたので、とりあえず3つの大学で一番偏差値が低い(と言っても60くらいありますがw)「岡山大学経済学部です!」って元気よく答えたんですよね。

そうしたら、「は?お前舐めてんのか?コ◯スぞ」ばりの勢いで「無理、合格するまでに2年はかかるね」って現実を付けつけられました。

ただ、普通なら現実的に目標を変えると思うんですが、当時の僕はこの担任の先生が大嫌いだった(今はすごく感謝してます。本当に有難うございます。)ので「こいつが無理って言うなら絶対に現役合格してやる!!」と負けず嫌いに火が着きました。笑

月間300時間勉強したら何とかなった

やってやるぞ!と心に誓ったのはいいのですが、いかんせん勉強をサボりまくってたわけで、全然勉強方法が分かりません。そもそもどれくらい勉強したら受かるんだろう・・・?

ということでいろいろ調べた結果、どうやら月間300時間くらい勉強すれば良い感じに成績が伸びると進研ゼミのマンガに書いてあったので、そのままそれを実行。


(これくらいの勢いで勉強してました。笑)

夏休みはマジで家の外に出ないレベルで勉強しまくったのを覚えています。その結果、無事に岡山大学経済学部に現役合格(下から4番目の滑り込み合格でした。笑)することが出来ました。

この経験から目標を決めてぎっちり逆算して行動すれば、どうにかなるということが学べた気がします。(当時はそんな意識なかったけど)

大学時代

麻雀、バイト、サークル、彼女とデートくらいしかやってない。苦笑

大学時代はとにかく遊んだ。バスケサークルのキャプテンをやれたことは人生経験で凄く役に立ってます。

 


(バスケサークルの同期と後輩たち。後ろ姿が僕です。笑)

お金が好きだったので銀行に就職

就活の時期になって自己分析をしたり、企業を調べたりしましたが、興味のあることが「お金」しかなかったので、「銀行」と「証券会社」しか受けませんでした。

厳密に言えばESの練習で大手企業を数社出しましたが面接は金融関係だけ。他の業種は全く行きたいと思わなかったなー。今でこそ他業種にめちゃめちゃ興味ありますが、当時は自分が食品メーカーとか、不動産会社とかで働いてるイメージがわかなかったんですよね。そんな僕が今はアパレルブランドを運営しているので人生は本当に何が分かりませんね。笑

結果的に地元の鳥取銀行に内定を頂いたので鳥取銀行に入行しました。入行したての頃は超キラキラでバリバリ働いて同期で1番出世するぞ!!意気込んでいたのを覚えています。

最初の半年は事務仕事中心だったのでとにかく資格の勉強をしまくりました。確か1年で8個くらい資格取りました。FP(ファイナンシャルプランナー)とか保険の資格とか。今では全く使ってないけど。笑

結果的に1年で辞めてしまうのですが、この1年のおかげで僕は一生サラリーマンに戻らないと心に誓ったので、学びのある1年でした。

銀行の仕事に疑問を感じ起業するまで

オレの人生はこのままでいいのか?病が発病

新卒で入社したら恐らく9割以上は一度思うであろう、「オレ(私)はこのままでいいのか?」「他に自分のやりたいことがあるんじゃないか?」「もっと別の生き方があるはずだ」みたいな悩みというかモヤモヤを抱え始めました。
考えても仕方ないので、まずは勉強だってことで自己啓発系の本を色々買い始めたのが大体10月くらいですかね。

金持ち父さん貧乏父さんシリーズや20代では○○やっとけ!みたいな本を読み漁ってました。


(こんな感じの本を読みあさっていた)

で、結果的に本を読んでも何も変わらないということが分かったので、まずは自分がどう生きたいのかを考えることにしました。

モテたい。起業したい。社長になってみたい。月収100万稼ぎたい。

新卒1年目のバカなオツムではこれくらいしか出てきませんでした。笑

ただ、当時は本気でこれらの目標を達成したかったので、年齢が近くて稼いでそうな人を今はオワコンのmixiで手当たり次第に探してみました。

そこでどうやらアフィリエイトが稼げそうだなと言うことがわかったので、アフィリエイトで独立している人に岡山、大阪、東京でアポを取り、連続休暇の制度を利用して会えそうな人に片っ端から会ってみました。

胡散臭い人ばかりだったけど、1人だけ凄く気になる人がいて、初対面だったけど42万円のコンサルを受ける決断をしました。貯金なんて無かったけど、家族がしてくれていた自分名義の定期預金が50万あったので45万円まではほぼ無利息で調達できました。(定期の預金の90%までの金額はほぼ無利息で借りれるんですよ!豆知識!笑)

当たり前だけど家族には全く相談してません。絶対に反対されることは分かってたし、自分の人生だから相談せずに自分で決めたかったんです。ATMで振り込む時に手が震えたのを今でも覚えてます。笑

でも、結果的にこの決断が僕の人生を大きく変えました。

アフィリエイトを3ヶ月頑張った結果の報酬額はなんと・・・!

2012年11月。アフィリエイトを始めることになりました。アフィリエイトについては長くなるので詳細は省きますが、仕事がある日は21時〜3時まで、で3〜4時間寝て仕事って生活で、休みの日は1日中アフィリエイトをし続けました。

早く脱サラしたかったし、何より自分でビジネスを始めた楽しさもあって、受験勉強より遥かに頑張りましたね。で、気になる報酬額ですが、3ヶ月間死ぬほど頑張って何と稼げた金額1,500円!!!wwww

しかし経費でそれ以上使ったので余裕の赤字www

オレ、センスないなー。向いてないのかな。。。って落ち込みまくったのを覚えてます。大金を払ったことより、稼げない自分が情けなかったです。

いま思えば、スキルも経験も何もない若造がちょっと頑張ったくらいで稼げると思い込んでたクソマインドに原因があるんですけど、それは今だから思えることで当時はめちゃめちゃ悩みました。副業をはじめてすぐの頃にホームズとかで岡山のタワーマンション調べて、来年にはここに住もうかなとか調子こいてた自分をぶん殴りたいです。笑

リスクを取らないことが最大のリスクだよ

2013年2月。アフィリエイトを始めて4ヶ月目。まだまだ全然稼げなかったころです。そんな2月某日。とあるイベントが東京であるということで、1泊2日で東京に行くことに。実はこの頃、全く稼げていなかったのに上京したいと考えていました。東京には若いのに凄い人が沢山いるし、情報も早く成長するなら最高の場所だと思ったからです。

しかし、当然ですが全く稼げていなかった&コンサル費用の借金があったので、さすがにこのタイミングで銀行をやめて上京するのは厳しいな、でも行きたい・・・。みたいな葛藤があったんですね。

(人生の分岐点は間違いなくここでした)

そこで当時お世話になっていた人に東京に来たついでに現状を相談したところ、「来ればいいじゃん。」「リスクを取らないことが最大のリスクだよ」とサラッと言われ、何故かその言葉胸に刺さり鳥取に帰り次第、当時の上司に辞めますと伝えました。

我ながら凄い行動力。笑

ということで苦労して就活をしたのに、たった1年で銀行を辞めることになりました。

お金が無さすぎて1ヶ月で5キロ痩せた下積み時代

銀行を辞めて「東京で成り上がってやるぜー!」と意気揚々と上京したのですが、決まった職があるわけじゃないので某ベンチャー起業のフルコミッションの営業代行をやってビジネスの基本を学びながら生計を立てようと思い、営業活動をスタートしました。

しかし素人がいきなり結果を出せるほど現実は甘くありません。営業職なので人に会ってナンボの世界です。当然活動経費がかかるので食費を極力削り、100円ローソンの3パックの焼きそばやうどんで1日を凌ぎ、100円マックのチキンクリスプが贅沢品で時にはカフェのガムシロップを飲んだりして凌いでいました。極限の貧乏状態です。

その結果なんと上京してから1ヶ月で5キロも痩せましたw100円ローソンは僕の命の恩人ですw


(命の恩人、新大塚の100円ローソン)

当時はかなり辛かったですが、この下積みが今の僕の基礎を作ったと思います。人生で一番の貧乏時代を経て、様々な経験を積み自分でやっていける自信がついたので起業することを決断しました。

ラズホールディングス株式会社設立

起業した当初は大きな武器と呼べるものが無かったので、ウェブ広告事業、転売事業、メディア事業、スクール事業など小さな会社でも出来そうなことは片っ端からやってみて、収益が出た事業に投資をして業績を伸ばしていきました。

現在(2018年現在)はウェブメディア事業に特に力を入れており、コンテンツマーケティングを日々研究しています。(この辺りの話は少し専門的なので割愛します)

余談ですが、これから起業をしたい人にはウェブ広告市場はオススメなので調べてみてください。初期費用がかからず、ウェブ上に資産を構築できるので、上手くいけばほぼ放置で結構稼げます。当然ウェブ市場は変化が早いので研究は常に必要ですが数字の分析や試行錯誤が好きな人はかなりいいと思います。

あれ、会社にオレっていらなくね?

社員やお客様、取引先の皆様にも恵まれ、僕がいなくてもある程度収益の出せる組織体制が整っていきました。しかし、それに比例して代表である自分の仕事がどんどん無くっていき既存事業では僕はほとんど必要のない存在になってしまいました。

事業を作り、任せ、そして手放すことが起業家の仕事だと思っているのですが、いざ自分がいなくても事業が回るようになると、それはそれでかなり寂しいです。笑

起業当初は全く余裕なんて無かったのに、時間とお金がある程度できると考える時間が生まれます。そこでまたとあの病気が再発したのです。

再発!オレの人生はこのままでいいのか?病

恐らくですが起業家って「オレの人生はこのままでいいのか?」という問いに対して一生向き合い、常に進むべき道を試行錯誤する人種だと思うんですよね。自分がやっていることが正しいのか?本当に自分がやりたいことなのか?みたいなことを考え、次の1手を打ち続けることが必要だと思っています。

(2年くらいやりたいことが見つからず悩みまくった)

このようなことを悩んでいるときに偶然とある経営者(関東圏で有名なスーパーを創った方)をご紹介して頂き、会話の中でこれもまた偶然、「来月モンゴルに行くんだよね」ということを聞き、どうやらモンゴルと日本を繋げる仕事をしているようで、「一緒に付いて行ってもいいですか?」と特に考えることも無くモンゴルに一緒に行くことが決定しました。

モンゴルに行ってみて発展途上国の可能性を感じ、直感でこの国に住んで何かをやってみたいと思い、日本の仕事の全てを役員社員に任せ移住を決断しました。ちなみに籍を入れる前の決断でしたが、当時の彼女、現在の妻は快諾してくれました。理解がある奥様で良かったです。笑

人生最大の挑戦中!レザーブランドHushTug

現在はファッションブランド「HushTug」を立ち上げ日本とモンゴルを行ったり来たりしています。

ブランド事業を通じてモンゴルに産業を創ると共に「誰かのきっかけになりたい」という僕自身の理念を挑戦している姿を通じてメッセージとして発信するために活動しています。

モンゴルでブランドを立ち上げるのは容易なことではありませんでした。素材や部品の安定供給が出来ない(品質にばらつきがあったり納期が遅れるなんて当たり前)、細かい要望に応えてくれる職人さんが見つからない、そもそも言葉が通じないので意思疎通にずれが生じるなど上げればキリがありません。笑

せっかく品質の高い革があるのに付加価値をつけることが出来ないため安く売っている現状はあまりにも勿体なく、レザー産業が盛り上がればモンゴルはもっと良くなると思い1年以上やり方を模索してようやく製品が作れるようになりました。(途中何度も嫌になり辞めたくなったのはここだけの話。笑)

(このようなシンプルなデザインで飽きずに長く使えるデザインを追求しています!)

(米国企業Everlaneの姿勢に共感し、製造原価を全て開示して透明性のあるブランドを目指しています!)

日本ではレザー製品は値段が高く若い世代にとって気軽に買えるものではありませんが、HushTugはムダなもの(広告宣伝費、中間マージン)などを無くすことで従来のレザー製品の半額ほどで販売しても利益が出るビジネスモデルを目指しています。

さらに発展途上国の労働者を安くこき使うことで製造し、それを安価で販売することが常識とされるアパレル業界に疑問を感じ、HushTugでは通常よりも高い報酬を支払い、更に工房の場所や実際に作っている様子を公開することで作り手の職人さんも幸せややりがいを感じられるように出来る限りの工夫をしています。

モンゴルの職人さんに「日本で買ってくれた人が凄く満足してるよ!」「バッグがまた売れたよ!」と話すと凄く嬉しそうにしてくれ、僕たちも元気を貰っています\(^o^)/

伝えたいことが多すぎて長くなりそうなので、詳しい立ち上げた理由や背景は別記事に書いているので読んで頂けたら嬉しいです!→ 僕がファッションブランドを立ち上げた理由

終わりに

かなり長くなりましたが僕の今までの人生を書いてみました。いろいろなことがあった人生ですが、特に起業してからの経験値は今後の人生においてかなり役に立つと思っています。詐欺にあったり、裏切りにあったり、人間不信になったり本当にいろいろありました。笑

これからも様々な経験を積み、社員と共に成長し、少しでも世の中に対して良い影響を与えられるように頑張っていこうと思います。

なんとこのプロフィール、7,500文字を超えました。笑
こんな長文を最後まで読んで頂きありがとうございました!